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Return to Dreamcast

360 のない生活は、すべての文明の燃え尽きたあとの地球一面にひろがる砂漠を往く旅に似ている。ここは希望も絶望もなくただ乾いている。目的地はなく、帰る場所もない。生命の一切は死に絶え、晩年の巨大な太陽が地表を赤々と照らしている。おれの肉体もたぶん朽ち果ててこの星のどこかの砂になった。ただ意識だけがあり、それすら徐々に失いつつある。旅などではないかもしれない。ただ風に運ばれていく砂漠の変化が、移動しているという錯覚を抱かせるのかもしれない。なんの指標もなく曖昧なこの世界で、自分がひとつところに立っているなどとも思えないのだが。

おそらくは乾く前ここにあったすべてはなにひとつなくなっていない。ただ形を失い砂になり、混じり合い砂漠になった。時計もカレンダーも砂になったから、ここに時間はない。指すべきものが砂になれば、意味も言葉も砂になっていく。抽象概念も砂まみれになってやがては砂漠に沈む。ただ星がある。それだけが曖昧でない確かなものだ。ここで最後に残る三つの言葉は、砂と砂漠と、まばらな砂(ほし)だろう…。

という状態だおれの部屋は。いても全然たのしくない。おかげで外出しまくっている。率直にいっておれがいま日本で一番居たくない場所がおれの部屋だ。もし XBOX 360 にΩ転送機能があっても、ここにはジャンプアウト不可能だ。ほかはどうあれこの場所に限って言えば現時点 XBOX 360 の存在確率がゼロだからだ。ゼロのものは増幅できない。確率のかわりに詰まっているのが砂だ。砂まみれだ。全部砂に見える。砂にくるまって眠るおれの脳味噌は砂袋だ。砂。砂があったっけな砂砂かあれは砂の砂砂に砂っ砂砂砂砂で砂砂砂砂砂砂砂砂砂砂砂砂。砂漠から這いだして人間に還る。そこにも XBOX 360 はない。そんなことは知っている。あるところにはある。それも知っている。XBOX 720 という可能性を検討する。いっそこの機会に XBOX 1080 とかどうだ。Forza 2 のためにもなるし無駄じゃない。それは何度もやった。しかし今年のおれは特に貧乏なので何度検算しても計算が合わない。それにこれは意志の問題でもある。戦いだ。いちばん確実で安易な方法は待つことだ。おれにはそれができる。幸いというかいまは仕事がすごく忙しいので、いま仮にゲームがあっても満足に遊ぶことはできないだろう。XBOX 360 は、あるよりもないほうが、今は精神衛生上よいのだ…ってそんなわけあるかおれにはやく 360 をよこせあああああああああ。

「360 がなければ Wii をあそべばいいんじゃない」とか寝ぼけたことを言われたりもするがまるでわかっちゃいねえなこの世にはマリーアントワネットが多すぎる。大事なのは今手元に 360 があるのか、あるいはないのか、ということで、それ以外じゃないのだ。360 があれば、あるいは Wii を遊んでみようという気も起きるかもしれない。けどない。だから Wii なんざ起動するどころかケーブル接続する気すらおきない。ていうか最後に起動したの去年だから 360 があっても結局あそんでないけどな。まあよそではそれなりに遊んでるわけなので、自分の部屋で触るもんじゃない、程度の距離感という話でだが。ていうか以前「キリンがだめならテンペストをお遊びなすったら?」とゲーム様に聞いて「そゆことじゃねんだよ」的に返されたんだけど実際そうだね全然ジャガー起動する気おきないね 360 がないと。360 のかわりになるゲーム機じゃない。じゃあ前世代機ということで初代?それも違うんだよなあ。360 のハード設計というかゲーム体験的な美しさは…、というあたりで、DC が思い当たった。あれも美しいハードだった。なにより、初代 XBOX を仮想 MD3 とするなら、360 は仮想 DC2 とでもいうべき印象を持っているのだ。なるほど、よかろう、回帰すべきは DC だ。なにより DC には、あの完璧で奇跡的な、CRAZY TAXI 2 があるのだ、MD に GOLDEN AXE があるように、SS に Digital Pinball NECRONOMICON があるように…。