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ラジオクリルタイ収録見学 3

昨日(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070804#p1)からの続き。

  • リア充問題。
    • もとは 2ch の就職活動板かどこかで生まれた用語らしい。「リアル(現実)が充実してるひと」、の略称。くらしイキイキ、とかいえばいいのか。用法としては「あいつはリア充だからな」「BBQ とか行ってんじゃねえぞリア充ども」とかか。…どうもおれの周囲ではまともな使われ方してないっぽいな。
      • そもそもネットは現実の一部なのだから「ネット以外」を指して「リアル」とか称する態度が大雑把でアレだなーと思うのだが以下略(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040310#p1)。
    • これもまた「リア充でないひとたち」が作った用語であることに注意。スクールカーストとか非モテとか非コミュとかと同じ。「彼ら以外の私たち」という立場の強化にも使えてしまうわけであり、ネットで複数回の屈折を経て普及したのであろう現状でのこの用語の取り扱いはけっこう厄介。
    • 非モテだの非コミュだのと盛り上がっている界隈だと、リア充というのが負のレッテルとして機能する。そのての界隈は「我々はリア充「以外」である」という主張が前提になっているわけだから、他人から「あいつはリア充だ」とレッテルを貼られると、その界隈での発言力を削がれてしまうというわけだ。(それが自分にとって居心地のいい場所であるかどうかを問わず)「集団からつまはじかれること」に対するナーバスさとかが伺える。なんだかなーというかんじだが、まあ、ありがちな話でもあるか。オタの場合でも、「あいつはオサレだからな」がレッテルとして機能しているクラスタがいまでもあったりするし。
    • 根本的にレッテルとしてしか機能しない用語だから、狭い界隈に持ち込まれると大概ロクな使われ方はしない、ということか。
    • J さんの「自分が楽しめないことを楽しんでいるひとたちがリア充」という定義は興味深かった、けど素朴に「自分が楽しめないもので盛り上がってるひとたちの輪に入ったところで、楽しくはないんだから、じゃあ自分が楽しいことをやってる輪のほうに参加すればいいんじゃないのか?」とか思うわけなんだよな。それがみつからないという問題はありそうだけど。なんか「生きがいとか特になくても普通に生きていけますけど」問題とかで行き詰ってしまうわけかな。
    • そのへんでいうと、N さんの「自称非コミュの多くは単に自分が主導権をある程度もらえないコミュニティに耐えられないだけ」という定義話はおもしろかった。
    • リア充の対義語は、ネット充とかになるのか?と思うが、たぶんより適切には「ネット弁慶」だろう。とすれば、リア充は「リアル弁慶」と言い換えられるわけよな。
  • 非コミュ
    • 非コミュ関連で印象深いのは、なんといってもこの用語「非コミュ」の語呂の悪さだよなと思う。たしかに、この語呂を提唱する感覚は(彼らのいう)コミュ的ではないなーというかんじ。
    • ネットの功罪としてよく指摘される「ネガティブでつながる自由」というのがあるけど、非モテにせよ非コミュにせよ、ネタがマジ化して以降にみられるそのての流れにおける「○○以外のぼくら」という位置づけの、その主体性の薄さは明らかな傾向だよなとは思う。なにかの概念を固定化してそこにぶらさがることで安定する、みたいな構造化への意識?これをたとえば「○○ではない△△であるぼくら」とか言ってしまえば、「じゃあ△△のひとはこうすれば?」とか簡単に処理されてしまうから?手前側の事情をなるべく明かさないことで手っ取り早く理解されてしまうことを避ける、匿名性に近いなにか?
    • 「ネガティブでつながる自由」の象徴的なトピックとして、まあ陰口問題とかもあるが、今回の件に近そうなあたりでいえば「最近メンヘル増えたよねー」問題とかが挙げられるか。「〇〇でつながる自由」の〇〇がメンヘルだった場合のあれこれ。これには実際にメンヘルのひと同士がネットを通じて交流して辛い部分が低減した(かもしれない)という話とか、ネットを通じてメンヘルのひと同士が互いに属性を強化しあっている(かもしれない)という話とか、メンヘルでつながったコミュニティの中で安定を得ることができたひとの中には、その安定を維持するために自身のメンヘルという「属性」を手放せなくなるひとが出てくる(かもしれない)という話とか、そのようにメンヘルを通じてつながるコミュニケーションがひろまることによって、新たにコミュニティに取り込まれたことが原因でメンヘル化していくひとたちが出てくる(かもしれない)という話とか、さらにその周辺に「自称メンヘル」のひとたちが大量に発生する(かもしれない)という話とか、さらには自称メンヘルが「メンヘラ」とかカジュアル化して(このへんになるともはや憂鬱と鬱病に違いがなくなる)一山いくらの有象無象であふれる(かもしれない)話とか、いろいろな側面が含まれていて、単純にいいとも悪いともいえない。
      • おれの周囲に限ってみると、「最近メンヘル増えたよねー」問題はたぶん 2004,5 年あたりをピークにして、以降は収束傾向にあるような気がしている。最近の自称メンヘルのひとはわりあい健全というか、あんまガチのひとを見かけない(このような世の中になってしまったので、ガチのひとたちはおれの目には見えない深度まで潜ってしまったということなのかもしれない)。ピーク時には適当に参加してみた OFF 会のメンバー中七割くらいが手帳持ちだったこととかもあって、当時は「東京のインターネットってたいへんなんだなあ」とか思っていた。

ううむ、まだもうちょっとありそうだけど、なに書こうと思っていたのか当初の予定を忘れてしまったな。幸いというか日記の日付は余っているので(日記書くのがおくれすぎにつき)、あと一回くらいつづく(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070806#p1)。