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ゼルダの伝説 Twilight Princess

ひとのプレイを見るシリーズ。最後のほうだけ見せてもらった。おもしろかった。いやーおもしろいねゼルダ。自分で遊ぶ気にはならないけど。

  • 「いちばん速い移動手段が前転」っていう制度は、このレベルのディフォルメ世界でも滑稽に見えてしまうものなんだよな問題のことを想起。現実のおれは、急いでいるときもべつに前に向けて飛んだり跳ねたり転がったりしない。それはマナーとか羞恥の問題でなく、走ったほうが速いからだ。けどこのての 3D ゲーの場合ジャンプしたり転がったりしたほうが素早く移動できることが多い。おそらくは近接戦闘のために用意されたアクションを、非戦闘時の長距離移動のため連続使用するというワザ、というか想像的でないベタな活用。ゼルダの場合人間フォームで徒歩の場合最速の移動手段が前転なので(←N64 以降ジャンプが地形依存になったこともあり)、城下町とかをものすごい勢いで前転して進むんだよなーそこ走り抜けたいじゃんゲーム内風景との混合感からいえば。選択肢を示された人間はほぼ必ず易きに流れるのだから、通常移動としてはやはり「走る」に最速の座を占めていただきたい。とはいえちゃんと走ったら速いっていうのは制度的にけっこうむずかしい。よく言われることだが自動車の運転と違って人間の走行にはゲーム性を盛り込みづらい(のだが書くと長いのでそれがなぜかは略)。これまで単にアナログの加減で歩きと走りを切り替えて、そこに慎重に進まないとペナルティを与えるようなエリアを用意したりして負のゲーム性を付加することでお茶を濁してきたが限度がある。加減の問題に過ぎないなら歩くことは苦痛でしかない。歩くのはペナルティを避けるためなどと後ろ向きな。あれは無策の露呈でしかなかった。走る喜びはリスクと共にある、というような前向きのデザインが待望された。けどなかなか果たされない。ようするに 3D アクションはいまのところ、「歩く / 走ることが楽しい」をきちんと実現できたことがない。FPS / TPS 界から出てきたアイディアとして、GoW におけるアクティブリロード以外のエポックのもうひとつになりそうなのが「A ボタン押しっぱなしによる制御にちょっとクセがあるダッシュ」のフィーチャーかと思うが、あれで完璧とも思われないし、いますこし洗練を待つ必要があるかと思う。まあ長くなった。ともかくそんなかんじだ。あとまあリアルな人間は走ってると疲れるけどゲームキャラには欲望として延々走ってほしいがそのへんフィールドの広さとかに依存して諸々設計される余地とかがあって(GoW の場合でいえば、あの狭いフィールド感によって「走りのそれっぽさ」が十分引き立っている)、なんというかまあ要デザインなのだろうな。調整とかではどうにもならん。以下略。
  • ガノンは憎むことができない悪役だなと思う。風のタクトガノンドロフとか踏まえての感想だからかもしれない。風タクのガノンドロフは、ただ悲しいやつでしかなかったと思う。というかそれ以前に、風のタクト主人公がリンクですらないし。あの GC風のタクトの清々しさのあとに、やっぱりゼルダゼルダとして Wii に現れてくるというのは、なんだかちょっとやりきれないようなものが感じられなくもなかったが、まあおれはシリーズのファンというほど入れ込んでいる人間ではないのだし、あと今はガノンの話だ。ようするに「悪役として生まれてきて悪を行うのが仕事なので悪いことしてますけど…」というような立ち位置が強烈に見て取れる。なんというのかなー巨悪として倒されるというただそれだけの目的で仮構されたキャラクタに宿るデジタルの悲しみ分とでもいうかな。まつろわぬ民というか加藤保憲感というかそういうのもある。どうせゼルダの一族とガノンの一族の過去にはろくでもない因縁とか争いがあって、一方が平地に巨城を築いて繁栄し一方は山へ追われていろいろあって大変なんだよべつにこいつ一人の話じゃないんだ長い長い暗闘の歴史とかがきっとあるんだ。いいモン側にも悪いモン側にもそれぞれの事情というものがあり、ガノンが背負っているのはその悪いモン側の事情だから、ああいうキャラとしてがんばらざるをえないわけだよきっと。むしろよくやっていて、よくやりすぎているからこそ大事にまで発展してしまうわけだよ。真面目で純粋で強いんだ。そういうやつなのにデジタルで悲しいというのが、つまりゲームの話として「ラスボスとしての仕事」感の虚しさみたいなものにつながるわけだ。べつに演出がうまくいってないとかではなく、むしろガノンの魔王っぷりが決まりすぎるほど決まっているからこそ、逆に浮き出てくる筋合いだ。こんな悲しい巨悪にはそうそうお目にかかれないよ。最後の一撃はどこか切ない、などというレベルではない。リンクと戦う姿は息子とキャッチボールをする父親の姿のようだ。それでいながら虚像のようなのだ。ラスボスだものな。そうだおまえはおれに勝つ、そう約束されている、この世に宿命などないがゲームの中にはあって、つまりあらかじめ仕組まれたスクリプトの中にだけ我々の世界はあり、それはつまりおまえはおれに勝ってエンディングで感動するということだと、ガノンの輪郭が語りかける。距離的に目は覗えない。忘れられないシルエットだ。

ところで N64 版でいうところのアバンストラッシュでキャッチボールする場面は、今回空きビンで弾き返せるんですな。剣でやるよりタイミングとりやすいのでラクだという話だった。