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C さんを囲む会?

反省会

なんだか目的や方向性のはっきりしない集まりが池袋であるらしいと呼ばれたけど、なんかそういう曖昧さはいけすかんなと思うので乗り気でなかったし、いつどこに集まるのかもはっきりしなかったので、そのままスルーするのもよかろうと洗濯とかしながら煙草吸いつつ NHK の将棋番組を見ていたら、電話があっていま池袋で集まり中という話で、二度も声をかけてもらっておいて行かないのもアレかなと思ったので参加。まあおれもいいかげんこういった中途半端に不発気味の会合リテラシが上がってきており、こういうときは趣味の会合に参加する基本的心得に忠実にやり過ごせばよいと判断して、そのようにして、だいたいおもしろかった。けどやはり全体としては、よくわからない会であったろうなと思う。

  • なお、なぜ「迎撃 OFF」でなく「囲む会」という記述であるかというと、その C さんがオタクではないのが明白であるため伝統的なオタ語としての「迎撃 OFF」を用いるのは相応しくないことと、あと参加者の多くに C さんを迎撃する意思が希薄であったため、曖昧に「囲む会」と書いてみたかんじ。とはいえこれも適切ではないんだよな。じっさい、C さん囲んでなかったし。
  • 基本的な会の目的としては「夏休み期間に上京してくるらしい C さんを囲んではてなーのひとがクネクネしましょう」みたいなかんじだったのかなと理解しているが、そういう空気が成立するのが困難な状況だった。果たしてこれが「会」だったのかとか、そのレベルでよくわからないし。
  • ようするにこれ「誰もイニシアティブを取らなかったので、なにをどうするのが「場の空気」であるかの統一がなかった」という典型例だな。こういう場では、「そもそも集まらなくていいんじゃ…?」みたいなどうでもよさや、「暗黙ルールがないなら、アンジュレーション気にせず勝手にやっちゃうけど問題ないよね?」みたいな空気舞踏会モードが支配しがち。
  • イニシアティブが取られるとすれば、通常「C さん本人」か「C さんに委任された幹事的存在」のどちらかなんだけど、C さんの OFF 会リテラシの低さは一目瞭然だからそれは期待できないうえに、今回たぶん幹事すら存在してなくて、なんでかっていうとたぶん参加者全員「特に C さんとは接点ないけどなんとなく人づてに呼ばれた」けど「幹事とかやるほどではない」ので、そういう優柔不断さを見かねたひとが「モー!なにこの状況!」とか思って仕方なく幹事補佐代行的な役割を引き受けているんだけど、それにしたってべつに「頼まれたわけでもやりたいわけでもなく仕方なくやってるだけなので最低限の場の設定だけしてそれ以上の積極性まで期待するのはお門違い」という、とにかくにも、なんとも空虚な。それでもなんとなく場が成立してしまうのはある種のやさしさでもあり、度し難さでもあり、インターネッターの暇の持て余し具合でもあろうか。
  • 基本中の基本だが、OFF 会リテラシの低いひとは「自分でイニシアティブを取れない」なら「イニシアティブを取る役割」を誰かに委任すればよい。この場合の対処も二つあって、完全委任なら事前に幹事役のひとと打ち合わせればよく、または当日に「(どうやるかはわかんないし任せるけど)次は○○がしたい!」みたいなかんじの自己主張を適当に噛ませればよい。けどなー、そのへんがまずできなかったんだろうな。それすらできない場合には「自分を歓迎してくれる会が勝手に立ち上がるまでなにもしない」っていう方法もあるんだけど、それはまあ人気者にしか選ぶ権利のない選択肢で、あんま誰にでもできることでもないし。

まあ傍目に無残だったけど、そんなのはおれの知ったことでもないからどうでもいいか、という気分が最終的に場を支配したんだけど、さすがにそれは人情としてどうなのか、という葛藤もまたあった、というかんじか。いろんな思惑の総体として出来上がってくる現実の空気感というものが、「まあたぶんこのあたりがギリギリがんばったモアベターとしての上限であろうな」と思えてしまうような部分もありつつ。OFF 会は、ネットがそうであるように、もちろん現実の一部だが、しかしわざわざ見るまでもない程度の当然さがナチュラルに表現されてしまってもなあ。