ラジオクリルタイ収録見学(続き)
昨日のイベント(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060506#p2)の続き。収録が終わって二次会以降に出た話や思ったことや感想等。後日の感想妄想も含む。時系列バラバラ。二次会は食い放題飲み放題のお店で、三次会はカラオケボックス(歌わず延々喋るだべる)、四次会はそのまま朝まで居座る組、というかんじ。
- はてな ID 所持者率が極めて高いイベント。まあはてな内で告知しているのだしあまりよそに拡大するほどのパワーがあるかんじでもないしというかんじか。
- 特定インターネット界隈ではわりかし著名なひとたちがけっこう居たらしい。あんまよくわからん。ネットの匿名性の陽の部分の理想の話だけを信じるならそうでもないともいえるのだが、こういったオフラインの場ではやはり、名のあるひとと実のある話をするためには自分が何者かである必要があるのだなと思った。けどまあべつにそういうことがしたいわけでもないなら何者でなくてもいいわけなんだよなとも思った。このへんオンラインとオフラインの緩さ堅さの性質の差でおもしろいかんじ。オンラインは参画についての曖昧さが相当に許容され、オフラインは存在についての曖昧さが相当に許容される。
- 昨日の感想に書き忘れていたのでここに書くけど、現代ではオタクの文脈でしか語られない「超時空要塞マクロス」が、当初の意図としては相当サブカルな話として設計されていたらしい、という竹熊氏の話はおもしろかった。
- 平成の怪人・西村博之氏関連
- ネットコミュニティの性質とイベント規模話
- 今回のイベントは参加者 30 人弱、スタッフ込みで 35 人程度。これって大きい小さい?→おれの感覚では「小さいイベントとしては大きく、大きなイベントとしては小さい」かな。
- このてのイベントは「単なるお客さん」の比率が極端に低い→「おれにも喋らせろ」的な参加意識が高い
- 「人文系は討論会、テキスト系は講演会」
- 「観客が少ないから人文系はショボい」「プレイヤが少ないからテキスト系は物足りない」というかんじになるか?
- なんかとにかくオレオレなかんじのひとの場合「おれ対群集」という構図を望みたいだろうから、人文系的な中小の粒の群体というような構図には入り込みづらいだろうね(自己承認要求が高いひとは「聞いてくれるだけの多数」の居る環境のほうが望ましいので、昨今の流動的なネット状況では権益を損ねない位置取りがむずかしかろう)的な話。
- 関連して、コミュニティにおける存在感話
- 一次的に操作できるようなものではないので結構厄介なんでは的な話。
- はてな村の場合でいうと、アンテナ時代からブックマーク時代へのシフトに伴って取り残されている層がある。「被アンテナ登録数が多いわりにあまりブックマークされていない日記」とか。まあはてなブックマークは、あまり標準的な志向で伸びているサービスとは思われないわけなのでアレだ(個人ニュースサイト界隈でカトゆー家断絶の保有している動員力が凄いと言っても動画ファイルナビゲーターにはトリプルスコアで負けるよ的な視点の取り方はいくらでもあるんだし)。具体的には注目されやすい話題が「はてなの話題」「IT 系」「ライフハック系」等に偏っていたり。そういう「注目されやすい話題であるか否か」と別に、文体というか振る舞いというか、なんかそのへんで判断されている「言及のされやすさ / されづらさ」も関係していると推測される。裏返せば「絡まれやすいか絡みづらいか」とかいう話であって、良し悪しどっちもある話だなということがわかるんだけどまあ(絡まれやすい≒炎上しやすい)。
- 台頭してくる「元 2ch ラウンジャー」気質のインターネッターとどう向き合っていくか問題
- おれの感覚で一言にまとめると「2 ちゃんっぽいひと」なんだけど、べつにこれ 2 ちゃんねる関係ない話かも。
- なんというか「環境に影響されることを恐れずになんにでも飛び込んでいく」ような感覚を前提としている。「荒らしをスルーする」選択肢はあるが「祭りをスルーする」という選択肢があんまりない。ネットで盛り上がっている議論があればとりあえず首を突っ込む。むしろ「よほど関与すべきと思われない限り首を突っ込まない」が基本のおれなどからすればかなり異様な人々。
- ネットにおける話題の大きさって消費者単位の言及量で決まっちゃうわけなのだから、たとえば「○○がつまらない」という話題があったとき「○○は確かにつまらないな!」とか反応してしまうひとが多いと、その「○○」に関する言及量がどんどん増えていってそれが「大きな話題」ということになり、最終的に「いまネットで話題の○○がつまらない!」とかいうわけのわからん大騒ぎが発生してしまったりするのでそれはどうなんだと思うんだけど、どうもなんでもとにかく話題にレスをつけることが善である文化圏(≒フレッドフロート式匿名掲示板≒その最大派閥の 2ch)的な血筋というか気質みたいなものが関係してないかなと思わなくもない(微妙に関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060407#p1)。
- 自分に関係がないものにでもやすやすと乗ってみせることが、もともと自分になかった見識を深めることにつながったりする場合があり、このような面を活用すると相当に強い「昼のブロガー」として振舞えることになる。実際にそのようなひとは居り、そういうひとはおれの中での「2ch 気質の成功例」かなあと思う。逆に「2ch で物心をつけた世代でブログで失敗して粘着化」みたいなひとも居り、こちらはうまくってない例だなあと思う。
- 非モテの特徴のひとつに「自分の考える自分像へのこだわりが深すぎる」というのがあると思っていて、そういう意味でこのような性質は「世間の流れ vs 自分の考える自分像」で前者を優先させてどんどん前に進んでいける(ただし、そうした結果自分自身の形態の変容をコントロールできない)というのは脱非モテへのいい取っ掛かりなのだろうなと思う。
- サブカルは濃くなればなるほど友達ができない
- 話題のジャンル毎に複数のブログを持つべきか否か問題(1 ジャンル 1 ブログ?)
- カテゴリ別に RSS を抜き出せるようになるとかすればいいのでは
- 書く側の利便のためにはすべて一本化できているというのが望ましいはず(1 ブロガー 1 ブログ)。閲覧する側の利便は機能の高度化にお任せできるはず。
- 脱線→ゲリラ的に活動しがちのインターネッターは 1 エントリ 1 ブログというスタイルになりがち。
- 女フォルダ問題
- 「無能男が主人公のハーレムモデル」から学ぶべきポイントは、主人公が群がる女キャラに自尊心バトルを一切仕掛けていないこと。
- 知識のひけらかしでモテようというのは基本的に無理筋ではないのか。
- 非モテはしかし知識のひけらかし以外で会話をつなげないという悲哀か。
- 自己承認要求が一方通行になってしまいがちなとき、それを調整できるのが恋愛上手?
- ネット議論では前提にするとまずいのだろうなと思える部分がバンバン前提になっていて、この温度差はわかりやすいなあと思った話。
- 三次会のカラオケボックスで喫煙非喫煙の障壁が発生していてあーと思ったんだけど対処できなかったのは心残り。このへんやはり事前に取り決めておいたほうがいいと思うんだけど…。
- そこに絡んで、空気読まない芸と対人経験値の低さがものすごい勢いで渾然一体となっていたひとが居ておもしろかったんだけど、それが辛いタイプのひとにはこういうひとはただ単に迷惑な存在ってことになるんだろうかな世の中単純じゃないなと思った。
- ところで「自分の話きいてほしいひとは早口になりがちなんだけど、本当はそこはむしろゆっくりしゃべるべき」みたいな話を思い出した。←「相手の声が大きいときは小さい声で喋ろう」的な会話ノウハウ
- 「オンラインは文体交流だけど、オフラインの喋る技術はまた別だしな」
- 「自分で自分を思い通りにできている」という認識のうえでの「論理的に蹂躙されたい」という願望の話。←うわーこのひとどんだけエリートなんだよと思った。確かにこれは深刻な悩みだろうけども、当てはまるレンジが狭すぎて共感者が非常に少なかろうし、自助努力以外なさそうだなとも。
- 恋愛をゲームとして認識するのは上級者向けだから非モテにはその認識向いてなくないか?
- ナードコア界隈話
- おれはメガデモ→ MOD 形式で配布されがちの音楽、といった筋合いでガバンゲリオン当時に素通りしただけなのでよくわからず。
- というかそれ以前にまず MAD TAPE 文化圏みたいなものでオタ系のサンプリングしてリミックスしてコラージュがどうのこうの的な活動にはひとまず満足していたからそっちに行かなかったってことかな。
- メガネ男子好き女子関連話
- 要するに「凡庸だけど少数派を気取りたい」というクラスタのひとたちが編み出したストーリーなのかな的な話。まあ女子全般他人からカテゴライズされることに対してナーバスな傾向があると思うので切り分けがむずかしいのだが。
- よくわからないけどたぶん他人の「自分の平凡さを認めたら死ぬ」という類の切迫感は、生暖かく見守っていったほうが世の中平和そうだな的な話。
- 非モテ女子関連話
- 文化系女子関連話
- なんだかよくわからないが、とにかくめんどくさそうなことだけはよくわかった。
- なんでネットのひとは「読んでる雑誌」でクラスタを分類したがるのか。そして当然のようにそのクラスタが素早く共有できるのか。おれが雑誌読まないひとだからおれだけがそのことをわからないという話か。
- 「おねがいティーチャー」というアニメ見たときに、なんとなく「ソファに座って人形を抱いている少女」(ソファ(母親)に抱きしめられ、人形(年下)を抱きしめ、自分自身(オタク)もなにか美少女化している)みたいなのが結局この方向性のアニメが大好きすぎるひとたちの理想なのではないか、みたいなグロい連想をしてしまった、という話をした。
- 非モテの S さんは転職してから垢抜けたよねという話。そこに絡んで、以前にも「理系技術者非モテは仕事で自己実現できる可能性があるので、メディア志望で挫折した文系高学歴非モテより救いがあるかもね」というような筋合いの話があった。
- 烏龍茶界隈話
- ラジオ収録会場で烏龍茶こぼしたひとが居て、しかもそのとき当人や周囲のひとたちが素早く対処できなくて、あーと思った。「なにかの対応に協力するつもりはある」けど「周辺に居る人間と即座に連携して動けるほど場数を踏んでいない」ので「なんとなく周囲を伺いつつ突っ立ってるだけになりがち」というあたりが、なんというか体育会ノリのオタイベント経験の浅いこのあたりの文化系男子の不甲斐なさかなあと思った。けどべつにそれは界隈や世代や意識など全然ズレてる感想であるから(それこそ「体育会ノリのオタイベント熟練者の集まり」であっても、現代ではそういう即応ができない空気はあるんだし)、それ自体なにか問題のあることだとは思っていない。というかこれ自体年寄りのおっさんくさいアレなので他人と共有したい感覚でもないというか、むしろ墓まで一人で抱えていくべきものよなと思うのでアレだ。もはやそのような時代は去った。
- けどやはりその場で「烏龍茶こぼしたひと」にフォーカスしてアングルを仮構するのはネット煽り性がきつすぎだろとも思った。いまどきはそうでもないのかな。まじでその場をそのようにしか見れない立場もあるかな。ありそうなんだけど、あると仮定した場合けっこうきついというかめんどくさいなまあおれは関係ないのでいいけど。わからん。イベントオタ的な立場でいえば、あの場で心配されるべきなのは当然「烏龍茶こぼしたひと!」でなく「烏龍茶がこぼれたソファ!」であるし、そこから連想されるのは当然「ソファのクリーニング代→イベント運営者にしょーもないトラブルによる負担→桶が飛ぶ→わたるが死んじゃう!」だし、あともうちょっと想像力があるなら、イベントのタイムテーブルがずれ込んで部屋のレンタル時間がどうのこうのといったアレだろう。
- 消火器界隈話
もうなんか長すぎてそろそろイヤになってきたのでこのへんで止める。