web 日記の書き方 2.0
最近、ゲーオタ界隈でちょっとしたコンフリクトが発生していて、いや発生したことになって、…いや発生させられた状態に陥っていて…、なんともいえないが、もどかしい状況が発生していたのでそれを憂鬱に眺めていたことをまとめメモ。事件自体の経緯は以下でまとまっている。
- ARTIFACT:自分の記事を誤解して書かれた記事が有名サイトで紹介され、広まってしまった時の悲しみ
そのほか思ったこと、考えたことなど。
- この件についての言及日記とか読んでみたけど、正直ゲーモク氏の立場や心情などは誰も想定してないかんじだった。だがそのことが誤りだとは思えない。単語・フレーズに反応しているだけであって、それを誰が発言したかなどどうでもよいこと。ふつうだ。不幸な事例ではあるが、悪人探しをしてもはじまらない。これもひとつの web2.0 的光景ってことなのでしょう?
- 記者主導の web 観と記事主導の web 観の摩擦?前提として、サイト管理・ユニーク自我のための情報発信への意識の強いひとは前者側に寄る傾向があり、サイト閲覧・情報編集意識の高いひとは後者側に寄る傾向がある。
- Permalink の果てに、署名日記者は名無しさんであることを前提にしたエントリの書き方を要求されるようになる。「このひとだからこそ言える」系の記事が注目された場合、それは(前提を無視するほうが自然な立場である一見読者のひとたちによって)必ず誤読されるようになる。それに疲れ果て、「誰でもいえる」書き方以外では(揉め事発生を警戒して)パブれないようになっていくと。
- そのへんを調整するレイヤとして SBS があればいいんだろうけど、SBS は誤読を誘引するメディアにもなりうる諸刃の剣。てことは「危険だからこそコントロールしていかなければならない」的な世界観か。やはりインターネットは殺伐だ。
- blog ツールは個人サイトのスタイルを標準化したけど、これからは文体も標準化していくと。
ゲーオタとしての雑感。
- シバチョ氏の書いた日記によって、ゲーモク氏の印象が(結果的に)操作されてしまったと思う。
- 「ゲームのおもしろさとはなにか」みたいな議論が周期的に為されることの意義自体は、確かにあると思う。
- ただ、おれの場合「そういう話題で盛り上がることによって、ゲーオタ同士がホモソーシャル的に相互を確認しあい、より取り返しのつかない状態へのシフトを推進するため(ヒャッハーみんなで地獄に堕ちようぜ!)」というような、正直いってあまり前向きでない理解からのものなので、ゲーオタとしての立場以外であれば、単純に意義があることとはいえない。
- また、今回の事例によった議論には、あまり実りはなかったと思える(各個の自発に留まり、意見交流から新しい視点の獲得にまで至った例が見当たらなかったので)。そういう意味でネタ振りとしてはうまくいかなかったと思う。
- シバチョ氏が過剰に責められるようなことがあってはまずいと思う。