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真剣インターネットしゃべり場 2006 関連 その 1

神宮橋 | 070104

の当日について、覚えている範囲でのメモ。

  • 一次会・二次会の会場はルノアール系列のレンタル会議スペースみたいなところ。会費 1,000 円ちょっとで数時間のドリンク飲み放題(セルフサービス)。けっこういいかんじだ。フロアは禁煙で、喫煙室がある。
  • 参加する気自体はまんまんだったんだけど、レジュメを読んだ時点でなんとなく「うあー、いざこうした見てみるとあんま興味のある話題ってないな」と思ってしまい、なんだか宙ぶらりんな気分だった。ネット自体には漠然とした興味があるんだけど、じゃあ具体的に何にというような部分についてはあんまり考えがないのかもしれない。ネットサービス関係は、まあ話聞いておきたいかなとは思ったが、しかし社会事件系、コンテンツ・メディア系はどうでもいいし、個人サイト界隈に至っては並んでる固有名詞に関する予備知識すらない。おれが疎いあたりのインターネットの話だな。わりと困った。まあそれはそれで話聞いていれば勉強になるんだろうけど。

というようなわけもあり、ネットサービス関係の話題が一段落して進行が停滞したあたりで適当に喫煙室に退避して、L さんと自アンの 2006 年はどんなだったかね的な話をして過ごすことにした。といっても自アンほど枯れたコミュニティで一年の総括といったところで大した話題があるでもなく、

  • 結局今年一番笑えた箱って、「ウヒーヒヒヒヒヒヒ!ウンコ!ウンコ!ウンコー!ドボュヒャー!」箱だったなという話。
    • T さんに紹介されて見た瞬間腹抱えて笑い転げ、知り合いの自アン民に教えたら全員が馬鹿ウケした、自アン+の(たぶん)傑作糞箱…なのだが、しかしやはりこれも自アン民以外にはまったくウケなかった(あたりまえだ)。というか笑いとしての程度の低さのことを思うと、さすがにこれが「今年一番おもしろかった箱」ということになってしまうのは問題なのではないかと思わなくもない。つまり、ギター侍が流行していた一昔前、結局最大公約数的にウケる笑いというのは、ネタでもなんでもなくて「単なる大声」なのだなということがわかって薄ら寒かったが、この糞箱で爆笑する我々はその状況を笑えないな、という意味においてだ。よりによってウンコとは。煮詰まりすぎて小学生並の水準に退行している。
    • この箱は、箱を開いた状態でのトータルの完成度が極めて高いので、文章だけでなく MSIE によるスクリーンショットを保存してある。
  • 最近では通称「大塚愛はオタに媚びてない」箱作の活躍がめざましく、自アンにもまだまだ隠れた長文芸が眠っていることがわかって頼もしかったなという話。
    • 自アンでおれがおもしろいと思うような長文芸の大半は、よくよく調べてみるとじつはほんの数人によって書かれたものだったりするのだが、しかしこの長文箱は、どうもその誰とも違う新しい(おれが文脈を把握していない)人物による長文であるらしく、まだまだ自アン長文芸壇も捨てたもんじゃないかもしれないね的なアレ。
    • ほかにいくつか同一人物によるものと推測できる箱があるけど、とりあえず当該の大塚愛箱の箱コメントのみ転載する。

http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/38398/
これを見ろ。エロゲ中毒で一度に3行以上のテキスト見ると吐き気する奴は休みながら見ろ。
「恋人にしたい女性アーティスト」、「大塚愛が1位」。な。見たよな。理解したな。ジャンプすんな。金はいい。
お前らが散々ぱら大塚愛はオタに媚びてる大塚愛はオタに媚びてるって吠えくさるんで、一時期あたしも相当参って
社長に泣きついたら「電車男いいじゃん愛ちゃんエルメスじゃん」とか笑ってんの高卒が。
恨み晴らさでってんで某日収録のトークで「オタ大ッ嫌いなんです、ウザいし臭いし」って言おうとしたら
事務所がスナイパー潜ませてて「おt」まで言ったあたしの口ン中に暴徒鎮圧用のゴム弾が飛び込んできた。

そして全インプラント治療で前歯治すも、心の傷は癒えないあたしに飛び込んできたニュースがこれよ。
笑った。泣きながら笑った。最後は蹲ってただ泣いた。今なら言える。オタいらねえ。オタは死ね。大塚愛にオタ不要。
10代から40代までのマラビンビンな世代一般の声として、恋人にしたい女性アーティストの頂点は大塚愛
今後また大塚愛はオタに媚びてるなんて吐かす豚は躊躇なく殺す。次の瀬川おんぷ討ち取ったりコピペで馬に乗るのはこのあたし。

回想モードの存在で海馬の腐ったお前らのために改めて言う。サブリミナルで脳に刷り込むよう液晶に焼きつけろ。
二度と大塚愛がオタに媚びてるとは言わせない。糞にたかる蛆は地を這え。あたしは衆生の憧れを受けて大空を翔ける真白き鳥だ。

の二点くらいだったか。あと、関連して「大塚愛はオタに媚びてる」言説自体そもそもオタ内部、下手すると自アン内部にしか存在しないような類のものじゃないかというような話もした(自アンには昔から、程度の低い(誰が言ってるのかもわからない、下手すると誰も言っていないような)偏見話を執拗に煽り続ける芸風がある)。なんというかなー、挑発言としての「オタクだけがオタ以外にも通用すると思っている○○」みたいなのの逆パターンというか(「○○」に入るのはたとえば坂本真綾氏とかだが、今日の場合でいうと Sound Horizon とかが適切か)。

真剣インターネットしゃべり場 2006 関連 その 2

二次会で、非モテのひとと脱オタのひとの対話を見ることができ、そのやり取りでの非モテのひとの対話テクニック上の失策が典型的に興味深かったのでメモ。たまたま会場に「おのれ脱オタめ!」みたいなかんじの非モテのひとが居て、ちょうどその場に脱オタのひとが居るというので話を振られて、細かいニュアンスは忘れたけど、

  • 非モテ「あなたは自分が非モテに対して優越感を持っていると思いますか?」
  • 脱オタ「ええ、それはあると思います、(以下滔々と解説)」

みたいなかんじで初手から悪手打ち投了していて、あーこれはいかんと思った。「おのれ脱オタめ!非モテに優越感を抱きやがって!」みたいなかんじの筋合いで攻めたい場合には、開口一番でのこのド直球は二重の意味で下策だろう。これはちょうどアレだ、「空中ガードしながら飛び込んでも、迎撃されなかったことに驚いてしまい技を出さずに素着地するオタ」(http://d.hatena.ne.jp/lu-and-cy/20050717#p3)の例だろう。いかんいかんよたぶんそれは脱オタ側が一端は優越感を否定してくることを想定しての発声だろうが、CPU 戦ならともかく対人戦でそういうみえみえのフェイクは無意味なのじゃよー、対戦キャリアまたは読みの浅さを露呈してしまっている。人間はそんなわかりやすい形で負けてくれない。

まず第一に、そのまんま「脱オタ非モテに優越感持ってるの?」とか聞いたところで、脱オタは原理的に非モテに対する優越感と無縁でいられないのだから、そんなもの「はい」と答えられるのに決まっている。底の浅い脱オタであれば優越感を否定してかかるかもしれないが(それこそ「一度否定したあと追求されてしぶしぶ自分の優越感を認める脱オタの姿」とかが安直には想定しうるわけだろうが)、現実がそんなうまくいくわけはないというか、相手の対戦レベルもわからないうちからいちばん安易な状況を想定して言葉を選んでしまうのは不用意。まずは相手の実力を量るべく当たり障りのない会話からはじめるのがよかっただろうし、また主題を「脱オタの持つ非モテへの優越感」に絞り込んでいくのなら、むしろもっと手前から慎重に、「どうすれば相手に一旦は自分の持つ優越感を否定させることができるか」を考え、その伏線のための言質を取るべく引っ掛け質問を繰り出していくべきだったろう。

次に、まあこれは相手が悪かったというか、脱オタのひとの対戦キャリアに圧された面もあろうから、一概に策の問題でもないかと思うが、「ええ、それはあると思います」以下の語調に呑まれてそのまま「会ったらいいひと」理論にやすやすと揉まれてしまったのが不甲斐ない。とにかくにも「いきなり肯定されてしまった後」の状況想定がなさすぎる。なぜそれが想定できなかった(または想定していても対応できなかった)のか、というのは、この非モテのひとの、ある種のいいヤツっぷりというか、真面目さみたいなものに依拠しているように思えて、どうにもそれを悪くは思えないのだが、まあ一応そうした認識のうえで書くと、こうなる。「他人に対してあからさまな優越感を公言するのは悪いことだから、そんなことを相手がするはずがない」。ある種の倫理観というかな。ただ、それは「あなたの」倫理観であって、「相手の」倫理観がそうだとは限らないし、またそれと別に、「他人に対して優越感を公言する際、それをあまり悪くみえなくするテクニック」だって当然ありうるのだった、こういう部分でどうしても対戦キャリアの差は出る。たとえばこの場合の脱オタのひとの態度などはさすがに見事であり、明瞭な理性に一定の誠意まで感じさせ、正直な実感を相手に伝わるよう言葉を選んで丁寧に説明するその態度はどう見ても「非モテを見下す悪い脱オタ」のそれではなかった。けど理論派かつ武闘派の非モテであれば、問題にすべきは相手の振る舞いより立場のはずだ。言葉遣いや振る舞いに惑わされず、調子を狂わされようとも当初予定から軸をズラさずその優越感自体への糾弾を止めるべきでなかった。うやむやになってしまったのは残念だった。そりゃ大概の人間は会ったらいいひとなわけだよ、しかし目の前に居る会ったいいひとを、立場の違いからそれでもやはり憎むことができるのが、その非モテの抱え持つルサンチマンの力というものではないのかと。思いつめた若者らしくキャラに徹するのであれば、そこは貫いていただきたかったというか。最後に和やかに「わははそうですか、わかりました、やはり貴様は敵だ!」くらい言っとけば、捨て台詞としてもナイスだったんではないか。

真剣インターネットしゃべり場 2006 関連 その 3

三次会・四次会の会場となった、早稲田にある「交流スペースあかね」の様子。

しゃべり場四次会しゃべり場四次会しゃべり場四次会しゃべり場四次会しゃべり場四次会

店っていうよりは大学サークルの部室というかんじだった。狭いが、少人数であれば居心地はそれほど悪くない。店に入ると、常連らしいへんなひととかが居た(ちょっと失礼な書き方になってしまうが、へんな店にふさわしいへんなひととしかいいようがない)。OFF 会参加者は大人数で押しかけた格好になってしまい、彼らの安息を乱してしまったかなあとちょっと心配したりした。そういう意味では、もう少し常連客のひとや店番のひとともコミュニケーションできればよかったような気がしたが、よくわからない。ここへきてようやく酒も入り、かなりくだけたかんじで朝まで見たり聞いたりたまに喋ったりした。三次会で帰るひとも結構居たけど、夜半から OFF 会とは別経路ではてな界隈のひとが合流したりもして、バリエーションには乏しいけど話題は尽きない和やかな会だったかと思う。

真剣インターネットしゃべり場 2006 関連 その 4

今回の OFF 会では、たいへん伝統的な雰囲気の(展開例のひとつを体現している)若オタのひとを見ることができ、「ああ、まだこういう若いひとも居るんだ」と思ってある意味安心した、と同時にオタという受け皿の因業について若干考えさせられた。おれがかつて体感・研究し尽くした素体が、固有の身体的特徴と 2006 なりの問題意識を備えた人間として目の前に現れたようなかんじ。振る舞いが伝統的ということは、脆弱性も伝統的ということで、ある意味で「喋っていてとてもラク」というか、こういう状況を楽しく過ごすにはどうすればよいかがあらかじめわかっているので、ルーチンワークで処理してしまったような部分もかなりある。つまり、隣り合わせの自負と鬱屈を抱えたこの種の若オタというのは、基本的に自分の中に膨大な量の「設定」を抱えているものであるから、そういうひとと相対したおっさんオタとしては、特になにもせずただ話のきっかけを振り続ければ、相手は自分の抱える「設定」を延々語り続ける状態になり(ガチガチに武装を固めたオタには、それこそ一晩や二晩では語りきれないくらいの分量の内部(自己)設定が存在するものだ)、こちらとしては枝葉は軽く受けつつ流しつつ、相手の設定話のバグトラッキングに徹していればそれだけで十分に間がもつ。

この筋合いでの「設定」というのは、ようするに個人の体験であり、また主観的事実から導き出された価値観や世界観の経緯であり、これまでにあった様々の局面に求められた判断例集のことだ。それ自体はべつにオタに限らずほとんどあらゆるひとが特に意識せず持ち、大雑把に参照しながら日々生活しているものだといえる。が、なぜそれをわざわざ「設定」とまでいうのかといえば、この種のオタはその自分内処理を自覚してしまっており(または意識下でそれを行おうと努めており)、同時にそこになるべく広汎な整合域を作り出したいと考えているからなのだ、が、うまく説明できない。オタにある(中二的な)感覚として「なにかを物語的に理解(または創出)しようと試行した際、そこでキャラクタの設定ばかりが膨れ上がりがち」というようなアレを自分に適用しようとした際に、自分の物語を見出すための取っ掛かりとして、まずは自分がどういう設定のキャラクタであったのかということからはじめがちであるからかもしれない。