アントニオ それは、猪木
「それは、○○○」といえばー、と「鉄郎とメーテル」ネタ(メーテル「鉄郎、バナナで釘が打てるわ」鉄郎「モービルー!」みたいなのが延々つづく)スパイラルに陥って、まあいろいろあるがやはり猪木かなと思っていやそれはどうよと不安になったがおれだけじゃなかったよかった。アントニオいのち。
それにしても、「イノセンス」(http://www.innocence-movie.jp/)を重要なアニメだと頭で思おう思おうと、どうも無意識にそういう働きがあるような気がしつつ、しかしぜんぜん注目しようという気が起こらないのはなぜか。おれのオタカルマが磨耗しつつあるのか。それともやはり攻殻機動隊2ならぬイノセンスであるからこその鈴木プロデューサの「オタク以外が見に来るアニメ」戦術が正常に機能した結果として、おれのオタセンスがイノセンスを認識できなく(おれからは見えなく)なりつつあるのか。
- http://artifact-jp.com/mt/archives/200401/innocenceotaku.html
- http://www.innocence-movie.jp/sendenkaigi/secret/
まあなんつーか確かにそういうのもあるし、あとおれ攻殻は士郎正宗氏の作品っていう認識が強いしな(士郎氏作品と押井氏作品ではキャラクタの悩むポイントがずれてるために、あの「背中のかゆいところとちがうところを掻いてる感覚」がおきやすい)。というかアニメ映画としての「攻殻」は士郎氏か押井氏かみたいな議論が(まだ)あったけど「イノセンス」になるとそういうのじゃあ全然なくて押井氏か鈴木氏かみたいな話しかなくなっているかんじなのがおもしろい。宣伝のプロデューサの名前が頻繁にメディアに出てくるっていうのはそれはもうそれ自体戦術のひとつなんだろうし。そういう人事てふつうよっぽどオタクなレベルでの話題だろうと思うところを、そんなこともなくという。
けっきょくなにか表に出すというのはコストのかかることだから表立ってなにかが出てくるというのは、それをする必要のあるときにしかほぼないことなんだなと思うっていうか。原作が士郎正宗氏であることについては、映画の前作を踏まえて、ファンのほうでは話題としては丁寧に葬ったというか、あんまそういうことをいうひとは攻殻の映画を見にいくひとたちではなくなったというか、そんなかんじで、商売のひとのほうでは、看板の名前としてあればよくてそれ以上に前に出す売り方を今回やってないので特にないですみたいなかんじなのかな。
Nanashi-soft の幻影を追って
ときどきむしょうにNanashi-soft(スピ魅やトリブレで有名)のイラストを見たくなるんだけど、いまのページだとイラスト公開してないみたいなのでwebarchveとか掘り返す毎日。
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